吉本ばななさんの「お別れの色 どくだみちゃんとふしばな3」を読もうと思ったきっかけ
先日、「違うこと」をしないこと、という吉本ばななさんのエッセイ集を読みました。
記事にも書いた通り、このエッセイが面白かったので、その流れで「お別れの色 どくだみちゃんとふしばな3」を手に取りました。
ある特定の作家さんの作品を何冊か読み続けること、ってありませんか?
なんとなく、その作家さんのモードになると言うか、スイッチが入るというか…。
私は過去に、何気なく買って読んだエッセイが面白くてはまってしまい、その女性エッセイストの方の作品を一度に20冊くらい手に入れ、一気読みしてしまった、という経験があります。
その方の文章に魅了されてしまうと、過去の作品まで辿ってしまいます。
こんな言い方をしてしまうとアレなんですけど、中にはもちろん「あれ?この作品はなんかちょっと違う、かな?」というものもあったりします。
しかし、何年か後になって再び手に取ると、「面白いじゃん!」となることもしばしば。
本棚で熟成された(笑)というわけではないのでしょうけど、その時々で響いてくる言葉って違うんだなあと分かりました。
前置きが長くなりましたが、今日は去年(2018年)の秋に出版された「お別れの色 どくだみちゃんとふしばな3」についてのブログ記事です。
吉本ばななさん「お別れの色 どくだみちゃんとふしばな3」の感想
今回は、前もって感想、レビューなどは読まず「エッセイ集」ということだけを頭に入れて読み始めました。
作品によっては、あらかじめあらすじなどを調べてから読むこともありますが、エッセイは下調べせず読み進めることが多いです。
この本は、「note」のメールマガジンで配信されたエッセイを再構成したものだそう。
数時間で読み切れる軽めのエッセイ本ではなく、上下2段で構成されておりまして、読み応えのある一冊でした。
タイトルに「お別れの色」とあるように、愛犬オハナちゃんが死を迎えるまでのこと、身近な人々の死に直面したときのことが、軸となっています。
彼女なりの死との向き合い方、捉え方、そこから学んだこと。
「生きること」について考えさせられました。
人は自分ではないものになろうという夢を見ている気がする、というような文がありまして、今の自分にぐっと来ました。なるほど確かに。深いです。
ばななさん自身の20代の頃の出来事や、イタリアでのエピソード、はたまたもっと昔の学生時代のことなどを読むうち、ああ、もうあの頃には戻れないんだ…と、ちょっと切なくなったりしました。
もちろんそれ以外の話題も。
食いしんぼうなので、食べ物ネタには興味がわきますね。
個人的な話になってしまいますが、私はピザとお寿司が好きなので、生焼けのピザが出てきた話には頭に来たし、美味しいお寿司屋さんの話には「そこ行きたい!」となって検索してみた結果、高くて行けそうにもない!笑、となったり。
ばななさんの本を読んでいる間って、不思議な夢をよくみるんです。
知らず知らずのうちに、深いところで考えさせられているのでしょうね。
「文章で人を癒す」とご自身でも言っている通り、今更私なんぞが言うのも変ですが、素晴らしい物書きの方だなと改めて思いました。
「ふしばな」は不思議ハンターばな子の略で、ばななさんの分身、という表記がありました。
村上春樹さんにふかえりがいるように~(うそ)とかあり、やっぱり面白いなこの方、と・笑。
最後に
本の中に出てくる、ばななさんお気に入りのカフェ・飲食店には注釈がついていて、巻末に連絡先が掲載されています。
サロンや治療院などの情報も公開されていて、参考になりました。
ぜひぜひ読んでもらいおすすめの一冊となっております。
恥ずかしながら、最近になって「note」の存在を知ったわたくし…。
月額400円で月に2回ほど配信されるという「どくだみちゃんとふしばな」が読めるそう。
本として発売されるときには編集されてしまうであろう内容も、あるとか。
気になります。
久々に、ばななさんの小説を読み返してみようかなと思いました。
ずっとずっと昔に読んだきりの彼女の本がどこかにあったはず。